9月21日水曜日の午後8時過ぎ、会社から帰宅してリビングに入ると美しい押し花があしらわれた電報が届いていました。もしや、と思い開けてみると「第二席おめでとうございます」と書いてあり、嬉しさのあまり、夫に向かって「やったよー!!」と大きな声で叫んでしまいました。
翌日、佐伯司朗先生のお宅にお電話をすると佐伯方舟先生が出てくださり、「おめでとうございます。今回の賞はきっとお祖母様と伯父様が導いてくださったんだね。」と仰ってくださり、胸が詰まる思いでした。
佐伯司朗先生・佐伯方舟先生、現代書道研究所の先生方、そして直接ご指導いただいている松藤春蝉先生、松藤司嘩先生、姉・中嶋藤粹にはこれまでの感謝の気持ちでいっぱいになりました。
『仏説弥勒成仏経』を書写しました。
もともと今年は違う題材を臨書しようと準備していたのですが、6月4日に祖母が、そして6月30日に伯父が祖母の後を追うように亡くなり、慌ただしさと大きな喪失感のなか、夏を迎えました。そこで改めて作品制作について松藤春蝉先生に相談すると、「日本書展でお経を書いて、二人の供養をするのはどうだろうか」とご提案いただきました。私も「作品を書くことで、自分を大切に思ってくれていた二人を供養したい」という気持ちが強くあったので、松藤司曄先生から日本古写経集成の『石川卿仏説弥勒成仏経』のお手本をお借りして、書くことにしました。
以前、母の23回忌と父の7回忌が重なった際に、『金剛般若経』を書きました。その作品を書いていた時のことを思い返すと、書くのが大変で辛かったという思いは一切ありませんでした。母は私が生まれてすぐ1歳の頃に、父は中学生だった頃に亡くなりましたので、大人になるにつれ、親孝行ができない寂しさを抱えておりました。しかし、そのときに写経したことで、両親の死にきちんと向き合い、まるで父と母に気持ちが伝わったような感覚を覚えたことを思い出しました。
今回、先生にお経を書くことをご提案いただき、背中を押していただけたことで、急遽の変更となりましたが「祖母と伯父のために」と心を決めて書き始めることができました。
一つめは、書風の表現です。具体的には、題材が持つキリッとした中に少し柔らかさを感じる文字をどのように表現したらよいものかと悩みました。メリハリをつけて書きたいと思っているのに柔らかくなりすぎて、なんとなくもったりした雰囲気になってしまうなど、頭では理解しているのに思ったように筆で表現することができないときは気持ちを切り替えるのに試行錯誤しました。
二つめは、限られた時間をどう使って書くかという点です。私は会社員としてフルタイムで仕事をしているため、平日に筆を持てる時間は基本的に夜9時以降でした。ときには、深夜0時を回っても書き進める日もあり、夫が心配して声をかけてくれたこともありました。休日は朝9時から夜8時まで書きました。作品制作中の家事は、すべて夫が担ってくれました。作品制作に集中するための環境づくりをフルサポートしてくれた夫には感謝の一言に尽きます。
三つめは、体調と墨の状態の管理です。自分の体調も墨の状態も日々変わります。その中で、同じ調子で作品を仕上げるために、体調管理にはとても気を使いました。しかし、お盆休みに入って2日目、新型コロナウイルスに感染してしまいました。当初は、お盆休み前半には仕上げて提出する計画を立てていましたが、感染から4、5日間発熱、頭痛などが続き作品制作に手がつけられなくなってしまいました。感染予防も含め体調管理を意識していたので、感染してしまった自分への苛立ちや体調の悪さも相まって、予定が狂ってしまったことにとても焦りました。そのようなとき、松藤春蝉先生から「お二人の供養のために、とにかく最後まで書きなさい。」というご連絡をいただき、諦めずに最後まで書くことができました。落款を入れる際は、いつも教室で直接ご指導をいただきながら書いていたのですが、今回は自宅隔離中のため、電話とLINEによるご指導をいただきながら仕上げました。自宅隔離期間も終わり、職場復帰する日の朝、仕事へ行く前に教室に伺い、先生に作品をお預けした時には達成感でいっぱいになりました。
6歳の時、松藤書道塾に入塾しました。
きっかけは、先に通っていた3歳上の姉が、たまにお稽古の後に持って帰ってきてくれる「あめ玉」でした。松藤書道塾ではお稽古が終わると当たりくじ付きの飴かガムがもらえました。今思えば、たぶん姉は自分の飴が当たったときに持って帰ってきて、私にプレゼントしてくれていたのでしょう。「あめ玉」を目当てに行った初日のお稽古で、なんと私は2回連続「当たり」を出し、結果的に「あめ玉」を3個もらってきたことを今でも覚えています。最初に当たってしまったものだから、「また行けば当たりがでるかな?」という子供心から抜け出せなくなりました。
その後、小学校、中学校とお稽古を続けていましたが、あまり真面目に頑張っている子ではなかったように思います。お稽古に行きたくなくて、サボってしまったときもありました。そんな私でしたが、中学3年生の後半に差し掛かった頃には、「こういう風に書くとお手本と同じになるなぁ」「あぁ、こんな風に筆を使うといい感じに書ける」など、何となく自分で書き方を模索するようになっており、その年の湯島天満宮奉納書道展では上位の賞をいただきました。
高校時代は、ソフトテニス部の活動を本気でやっていましたが、書くことがとても楽しく、書道も本気で頑張って銀河書道作品展への出品も続けました。
大学は二松學舍大学で国文学を専攻し、好きなだけ書道の授業を受講しました。合わせて、松藤書道塾のお手伝いをさせていただきながら、各種展覧会のための作品制作に時間を使っていました。
私は元々才能があるタイプではないので、とにかく量を書いて上手くなる以外に道はないと思い、学生時代は書けるだけ書きました。今は、学生の時ほど書けてはいませんが、これからも大好きな書道を続けていきたいと思っています。
努力を裏切らないというのが魅力だと思います。
特に私自身がそうですが、前述したように小・中学生の頃には、これといった賞を頂くような字は書けていませんでした。人によってスタートから器用で上手い人もいれば、そうではない人もいます。上手くなるスピードも人それぞれです。それでも、上手くなりたいと思って書き続けると必ず段々成長する点が良いなと感じます。
もちろん、毎日少しずつでも筆を持つのが一番良いとは思いますが、そうはいかない日も当然あります。生活スタイルや自身のライフスタイルに合わせて、書きたいときにいつでも取り組める書道は、その人なりの努力で成長していける趣味でもあり、人生の一部になる存在だと思います。
この度は『文部科学大臣奨励賞』という素晴らしい賞を賜り、誠にありがとうございます。また、同人推挙という名誉を賜り、佐伯司朗先生、佐伯方舟先生をはじめ現代書道研究所の先生方に深く感謝を申し上げます。
今日からまた新たな書の道のスタートラインに立ったと感じています。
子どものころから今日まで書道を習うことを応援し、天国で見守っていてくれている亡き父、母、両祖父母、伯父、そして今でも応援してくれる親戚の皆様、作品制作に没頭する時間を与えてくれた夫にはあらためて感謝の気持ちでいっぱいです。特に今年6月4日に旅立った祖母、そして6月30日に後を追うように旅立った伯父には、今回の受賞を直接報告できないことが残念でなりませんが、きっと天国で喜んでくれていることと思います。
いつも車椅子で日本書展を見にきてくれていた祖母は新型コロナの影響で、ここ数年見に来ることができないままに旅立ってしまい無念でなりません。以前、一緒に見に来て作品を眺めてくれた姿が頭に浮かびます。「コロナが収まったら一緒に行こうね」と話していたので、今回の受賞作品を空の上から見てくれていると信じています。
そして、今年の作品は、夫の協力がなければ仕上がりませんでした。私の我儘を受け入れ、協力してくれる家族がいることへのありがたさを改めて実感しました。
最後に、ここまで育てていただいた、松藤春蝉先生、松藤司嘩先生、姉・中嶋藤粹に感謝申し上げます。今後ともご指導賜りますようお願い申し上げます。そして日本書展の結果が告知されて、すぐにお祝いの連絡をいただいた松藤書道塾の皆さまにも感謝しております。
この度は、本当にありがとうございました。